箱根駅伝は今年で95回目、第1回大会は99年前の1920(大正9)年に開催されている。
5年後には第100回大会となる非常に歴史のある駅伝大会で、今や日本の正月の風物詩だ。
選手が懸命に走っている姿を観て、根性があるとその頑張りに感動を生んでいる。
日本の伝統的なスポーツのことを国技やお家芸などということがある。
駅伝についても、世界で最も盛んに行われているのは日本なので、お家芸と言えるだろう。
ただ、このスポーツについて、私はもうやめるべきと思う。
その理由のひとつに、襷にかかる(レース完走の)責任が区間を走る選手ひとりにかかっている点にある。
駅伝は複数区間あり、1区間をひとりのランナーが担当する団体競技である。
団体競技のスポーツはたくさんあるが、駅伝は野球やサッカーなどとは違い、ひとりの失敗(棄権)が即失格となる。
異常にシビアなスポーツだ。
ラグビーのスローガンで「One For All, All For One(ひとりはみんなの為に、みんなはひとりの為に)」とあるが、駅伝の場合は、「ひとりのせいで即失格」である。
こんな駅伝のルールでは、選手がかわいそうだ。
途中で怪我をしても足を引きずって襷を繋ぐというシーンが、ひとりの選手への重すぎる責任によって生まれてしまう。
しかも、怪我をおして走る選手の姿は、TV実況の過剰な演出によって美談となり(誤った)感動が生まれる。
これはもうハラスメントだよ!
「怪我をしたけどよく頑張った」なんて、冗談じゃない!!
怪我の痛みを我慢してまで走り続ける意味なんて、ひとつもない。
レース中はアドレナリンが出て痛みを感じにくいが、
途中で止めなかったせいで、怪我の具合は間違いなく重くなる。
足を引きずって走った結果、襷がつながっても成績は振るわない。
身体的にも、精神的にもダメージが大きく残るだけだ。
本人は次のランナーに繋げる責任感で走ろうとするだろう。
監督など周りにいるスタッフがレースをいち早く止めさせるしかないのだ。
何かが起こってからでは遅い。
これから先、競走中止などのルール変更ができないのであれば、駅伝なんて止めたほうがいい。
長距離やるなら個人で、10,000mやマラソンで頑張ってもらいたい。
駅伝は観ていて辛いよ。
我慢や根性が感動を生む時代はもう終わり。平成最後の年なのだから、考え方を改めよう。
ちなみに、選手の後ろの車の中から監督が常に指示を出していたけど、
それってスポーツマンシップ的にはどうなのかな?