すーさんブログ

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【箱根駅伝】駅伝なんてもうやめないか?ひとりの責任が重すぎる件

2019年の箱根駅伝東海大学の初優勝で幕を閉じた。

 

箱根駅伝は今年で95回目、第1回大会は99年前の1920(大正9)年に開催されている。

5年後には第100回大会となる非常に歴史のある駅伝大会で、今や日本の正月の風物詩だ。

選手が懸命に走っている姿を観て、根性があるとその頑張りに感動を生んでいる。

 

日本の伝統的なスポーツのことを国技やお家芸などということがある。

駅伝についても、世界で最も盛んに行われているのは日本なので、お家芸と言えるだろう。

ただ、このスポーツについて、私はもうやめるべきと思う。

 

その理由のひとつに、襷にかかる(レース完走の)責任が区間を走る選手ひとりにかかっている点にある。

駅伝は複数区間あり、1区間をひとりのランナーが担当する団体競技である。

団体競技のスポーツはたくさんあるが、駅伝は野球やサッカーなどとは違い、ひとりの失敗(棄権)が即失格となる。

異常にシビアなスポーツだ。

ラグビーのスローガンで「One For All, All For One(ひとりはみんなの為に、みんなはひとりの為に)」とあるが、駅伝の場合は、「ひとりのせいで即失格」である。

こんな駅伝のルールでは、選手がかわいそうだ。

途中で怪我をしても足を引きずって襷を繋ぐというシーンが、ひとりの選手への重すぎる責任によって生まれてしまう。

しかも、怪我をおして走る選手の姿は、TV実況の過剰な演出によって美談となり(誤った)感動が生まれる。

これはもうハラスメントだよ!

「怪我をしたけどよく頑張った」なんて、冗談じゃない!!

怪我の痛みを我慢してまで走り続ける意味なんて、ひとつもない。

レース中はアドレナリンが出て痛みを感じにくいが、

途中で止めなかったせいで、怪我の具合は間違いなく重くなる。

足を引きずって走った結果、襷がつながっても成績は振るわない。

身体的にも、精神的にもダメージが大きく残るだけだ。

 

本人は次のランナーに繋げる責任感で走ろうとするだろう。

監督など周りにいるスタッフがレースをいち早く止めさせるしかないのだ。

何かが起こってからでは遅い。

これから先、競走中止などのルール変更ができないのであれば、駅伝なんて止めたほうがいい。

長距離やるなら個人で、10,000mやマラソンで頑張ってもらいたい。

駅伝は観ていて辛いよ。

我慢や根性が感動を生む時代はもう終わり。平成最後の年なのだから、考え方を改めよう。

 

 

ちなみに、選手の後ろの車の中から監督が常に指示を出していたけど、

それってスポーツマンシップ的にはどうなのかな?